明 悠 会 研 修 会 に 参 加 し て
毎田周一師の名を初めて耳にしたのはかなり前のことだったが、師の著作に直接に触れる機会に恵まれることはないままに時は過ぎていた。
小生の勤務する保育園には数多くの業者が遊具、教材、保育書や絵本等の書籍類を携えてセールスにやってくる。その中のひとり、H社の営業マンは商品の紹介、勧誘もそこそこに、宗教、文学、芸術談義に時間を多く取るような人だった。一昨年だったかと記憶する。彼、坪野俊夫氏と例によって四方山の話に花を咲かせていたとき、一冊の冊子を贈ってくれた。『法蔵菩薩 化 してこそ―毎田先生と私―』という毎田周一先生ご生誕百周年記念講演録、講者は「羽田信生」とある。
まず演題にビックリした。親鸞の浄土和讃・法然讃に「阿弥陀如来化してこそ」で始まる和讃があるが、因位の法蔵と果位の阿弥陀に違いこそあれ、その和讃を念頭に置かれていることは明白だ(当然講演の中でも触れられている)。そしてその和讃に注目されているのが本師・廣瀬 杲 先生だったからである。羽田師の経歴を見ると、昭和21年生まれ、米国カリフォルニア州バークレー・毎田仏教センター所長とあり、廣瀬師の著書の英訳をされておられる。得心した。毎田師と広瀬師、このお二人が羽田師を通してつながった。そしてそう遠くない時期に羽田師にお目にかかる機会があると確信した。その翌年、つまり昨年、坪野氏に誘われて明悠会の研修会に初めて参加した。その時の感想をブログに綴った。重複には寛恕を願って再掲する。
『毎田周一先生と明悠会』
京都帝大で西田幾多郎博士に師事し、暁烏敏師に参じた毎田師の名前は、保育園出入り業者のT氏からだいぶ前に聞き及んでいました。今回初めて、毎田師を慕うお弟子方の会「明悠会」の毎田師生誕102年記念の研修会に参加することになり、テキストである師の著作『簡素論―釈尊の心』に目を通す機会が与えられました。
昨年暮、毎田師の著作集の編纂に携わった羽田信生師による生誕100周年記念講演録『法蔵菩薩化してこそ―毎田先生と私』を手にしたとき、瞬間的に深いご縁を感じました。この標題こそわが師・廣瀬杲先生のお言葉そのもの(源空讃「阿弥陀如来化してこそ」)ではありませんか。しかも羽田氏は廣瀬先生の講演の英訳も出版されています。その廣瀬先生は、「私にとりまして毎田周一先生とは、『簡素論』をお書き下さった尊師であります。私はお示し下さった簡素の一言のもとに宗教の真実を頷かせて頂いております。(中略)簡素の道理、まことなるかな!」と、明悠会機関紙『海雲』第100号に寄稿され、遡って1997年には『罪悪深重』と題した講演を同会でされておられるのです!
研修会は20・21日の両日、長野市で開催されました。事前にざっと目を通した『簡素論』(第1章「自覚」、第2章「永遠の生命」、第3章「 自然 」、第4章「簡素」―1「あきらかとやはらか」、2「制作の理念」、3「真理としての簡素」)は正直言ってほとんど理解できませんでした(特に前2章)。研修会は第1章を輪読しながら進められていきます。初日はやはり歯が立ちませんでした。第2日、ふと「機の深信」を明かしているのかという思いが起こってきて、それからこの書の全体像が見えてきました。それは思わず笑みがこぼれるような瞬間でした。凄い書と感じ入っています。独りで読んでいてはこの思いは抱けなかったことでしょう。信を志す人々が真剣に教えと向き合う中で、釈尊、親鸞聖人、毎田師、廣瀬師、それぞれの同人の心の波動が僕にまで届いたのだと思います。
(2007年10月)
今年の研修会の案内をいただいたのは8月初め、9月20・21の両日、羽田信生師の講演もあるという。こんなに早く思いが叶うとは!既に入っていた予定を変更して、坪野氏とともに参加することにした(残念なことに坪野氏は直前になって体調を崩し欠席)。
今年は毎田師の『歎異抄から大無量寿経へ』、先師・暁烏師の『歎異鈔から大無量壽経へ』を中心に、羽田師夫妻も交えての輪読で始まり、午後は羽田師の『人知より仏智へ―不断煩悩得涅槃―』と題した講演、これが実に良かった。「人知にもとづく仏教」=仮仏教と、「仏智にもとづく仏教」=真仏教との峻別を、三願転入、「聞其名号信心歓喜」の『聞』の深意、『観経』から『大経』への転換を通して明らかにせられた内容に深く頷くことができた。更には「唯除五逆誹謗正法」、親鸞における三願転入の時期の問題、『大経』と称せられる「無量寿経」群などに関わる小生の質問に対しても的確なご教示をいただけたことは大きな収穫であった。
生前の毎田師と直接まみえることのなかった羽田師の毎田師への謝念に、仏道の伝承と出遇いの不思議さをしみじみ感じ取れた二日間であった。
最後に些か古くなるが、廣瀬師との出遇いを綴った拙文を引用して初心に帰ることのできた本研修会への謝意としたい。
『出遇いと私』
友人のF氏に誘われ、聞光学舎の研修会に出席したのははや4年も前のことになる。すでにその前年、すなわち私の30才の冬、廣瀬杲先生にお目にかかる機会を得、『大経』第18願成就文「至心回向」を「至心に回向せしめたまへり」と訓点された親鸞聖人の他力真宗の世界に触れることのできた私は、最初に出席したその研修会において「唯除五逆誹謗正法」の文を感涙をもって深く肯くことができたのであった。
わが人生を真に楽しませることをせず、久しく心の底にわだかまっていた疑団は、恩師との離別を縁として「法然上人との死別」の意義を説く廣瀬先生の言葉に氷解し、「汝を救わずば正覚を取らじ」との如来の無限の慈悲は、「無有代者」「無誰代者」的存在としての人間の孤独の悲しみをつき破って、言葉そのままに個々人の独尊性を表現するものとして現成したのである。
今、私は出遇いの不思議さを思わずに入られない。もしあの時廣瀬先生に出遇うことがなければ、真実を求めるかの如くして虚仮のわが身に虚構を積み重ね続けていったであろうし、F氏の誘いを通して聞光学舎との出遇いがなければ、わが分限を忘失し、如来の領分を侵し続けんとする自己に気づくことなく他者の上に君臨せんとしていたことであろう。
廣瀬師、聞光学舎との出遇いに至るまでの30年間、ずいぶんと遠回りをしたように思ったこともある。もっと早くに如来の直道に参入する方法があったのではなかったかと。しかしこの出遇いを獲るまでのわが人生における無数の出遇いの中、どれひとつが欠けていても今の私が存在しないことを思うと、はるかな遠回りをしたかのようであるが、私の30年の歩みこそが最短距離であって、無駄なものは何ひとつなかったと断言できるのである。実に如来のおはたらきには一点の無駄もないのである。南無阿弥陀仏。
如来は無数の衆生を通して、私を護り、育て、「汝、起て」と喚び続けてくださる。この喚び声に応えることなくして何の人生の意義があろうか。私は廣瀬師との出遇いを通して私自身と出遇うことを得た。私は私自身となった。しかし古い着物への執着は止みがたく、否、ますますつのり、真実の喚び声には耳をふさぎがちである。真実の喚び声とは、時代の、底辺からのうめきであろうか。わが立つべき大地はそこを離れてありえぬというのに、今の私は……。わが人生は始まったばかりである。
(1982年7月『聞光』第23号所載)