戦後ベビーブーマーの一人として大阪府豊中市に生を受けた私も今年で耳順の歳、銀行員の父に従い十数回の転居を経て小泊の地に来たのが二十八歳の時ですから、人生の半分以上は当地での生活、時の経つのは早いものです。
振り返って『人生とは?』という問いに初めて向き合ったのは中学生になろうかという時期だったでしょうか。高校生になってキリスト教に答えを求め洗礼も受けましたが、根本的解決を見ないままに大学を出て某都市銀行に就職。二年後、意を決して退職、親鸞聖人の語録『歎異抄』を手に近所の浄土真宗の寺に押しかけ入門します。仏教を学びつつ住職資格を取得し、縁あって安専寺の後継者として昭和五十年に妻子共々入寺したのでした。そして三十歳の冬、ついに親鸞聖人のお心にじかに触れることになります。それは私にとって新たな誕生とでも言うべき体験でした。
人生には『みたびの誕生』があると私は考えています。一番目はもちろん母親の胎内からこの世に生まれ出ること。二番目は「回心ということ、ただひとたびあるべし」(歎異抄)とある回心の事実。そして三番目はこの世を去る時、即ち死です。そう考えると、第二の誕生を経ずして第三の誕生はありえない、死ぬに死ねないことになります。
幸いにして今、私は宗教者、保育者として、数多の人と出会う場をいただいています。それは本当の意味での教えられる世界となりました。第三の誕生までどれだけの時間が残されているのか分かりませんが、その時まで私に与えられた務め―子どもたちの目の輝きそのままに人々と共感・連帯の世界を生きる―に仕えていくことはできそうです。