真宗大谷派高田教区ではテレホン法話を1ヶ月単位(講師により2席若しくは3席)で流しています。

 7月は、なぜか長女・玲子が担当しました。その2席を公開します。

 電話番号は025−522−0234、時間は約3分間です。ダイヤルしてみてはいかがですか?

 

老野生玲子のアル中法話

  老野生玲子です。法名は「 微玲 ( みれい ) 」と言います。「微玲」の「微」は微生物の「微」です。父から「お前なんか ( かす ) かな存在なんやから」ってつけてもらいました。今、大阪で大谷派のお坊さんがオーナーの「坊主バー」でバーテンをしています。今思うことを少し話させていただきます。

 釈尼微玲はアル中です。23歳の時に医者から「1年持たない」と死の宣告を受けましたが、その後毎晩アルコールを摂取しながら余生を過ごし、かれこれ5年が経ちました。

 幸い昼間仕事をしているため、明るいうちから飲むことはしでかさなくなりましたが、アル中というやつは一生治らないらしく、飲み過ぎた次の日やアルコールが抜けた時に症状がやってきます。一般的に言われる「手の振るえ」はもちろん、意識障害や、脂汗、 ( うつ ) 等の異常っぷり満載です。ここで飲んでしまえば「アーラ、今までのは何だったのかしら?」と、おもしろいくらいに症状が去っていきます。

よく「仏教ではお酒飲んだらダメなんじゃないの?」とか、「何でそこまでして飲むの?」とか質問を受けますが、それはただ単に釈尼微玲が「アル中のど鬼畜生玲子」だからです。「般若湯」だとかいう腐ったいい訳や「飲まなきゃやってられない」と何かのせいにするのではなく、私が飲まずにいられないから飲むのです。症状のやつらをガマンするのはガマンしたいからです。

 ただここで、「病気なんだもーん」っと開き直るのはお門違いです。それは何かのせいにしているということじゃないでしょうか?

 これまたよく言われるんですが、「絶対早死に!」っと。アル中で死んだと言われるでしょう。勝手に言ってください。私が死ぬのは、アルコールやタバコの吸いすぎや、健康からかけ離れた生活をしているからではないのです。私の死因は生まれたからです。

 とりあえず、アルコールリミットなので寝ます。明日しんどいの嫌だもーん。じゃぁ明日も二日酔いで。

 

老野生玲子のアル中法話パート2

    アルコールから覚めたらひどいことになっていました。

 私は今、 ( うつ ) です。こう話していることさえ嫌な状態です。お酒を飲んでごまかしたりしますが、どうにもならない状態です。

 何が原因か・・・、と考えると、周りが見えていない自分というところに行き着くのです。

 アル中になったとき、アル中になってよかったと思いました。そのことで、私の周りに、私を生かすためにたくさんのことが起こってくれていることに気がつきました。

 しかし今はどうでしょう?「あれがやだ、これがやだ」と何かと人のせいにしています。「忙しいから」と言い訳します。やる気がない自分にすら気づけずじまいです。

 うれしかったことは忘れてしまいますね。たくさん人がいるんだけど、独りじゃないことは分かっているんだけど、どうして一人ぼっちになってしまうのでしょうか?

 「いいことも悪いことも、すべてのことが私のためにあったんだ」と思えた自分、「海の色まで祝福してくれている」と思った私は、今あなたたちすべてを否定しています。ごめんなさい。とても失礼なことをしていると思います。

 こんなにたくさんの人が周りにいてくれているのに、私には誰ひとりとして見えないのです。それは人間だからではなく、私だからなのです。私だから許されないのです。私は大切なことを知ったつもりで、何ひとつできていません。

 って、ここまで書いたら父が「『歎異抄9条』の話だね」と言ったので、 高史明 ( こ さみょん )

さんの『歎異抄のこころ』(日本放送出版協会1993.11)を読み返してみました。

 「念仏を称えさせていただくのですが、天に踊り地を跳ねたいような喜びが、こみあがってまいりません。また、少しでも早くお浄土に往きたいというこころにもなってこないのです。このこと、どのように考えるべきことでありましょうか」と、お尋ねしましたところ、次のようなお言葉が、お答えなのでした。「親鸞も、かねがねそのことを不審に思っていたのですが、唯円坊、あなたもまた、同じ思いでしたか。しかし、よくよく思案してみれば、天に踊り地を跳ねたいほどの喜びを、喜べない私たちなればこそ、往生はいよいよ 決定 ( けつじょう ) と思われてよいのです。」(後略)

とありました。でも分かりません。どうすればいいのでしょうか。「お任せするしかない」と言われます。任せきれない自分が、今ここにいます。

T O P   安専寺からのメッセージ